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順リハビリ整形外科の医師について

医師紹介

[院長] 渡邉 順哉

痛みと骨粗鬆症の難民ゼロ×患者満足度日本一の整形外科を目指しています!

略歴・資格など

略歴

  • 平成16年 鎌倉学園高等学校卒
  • 平成23年 東邦大学 医学部卒
  • 平成23年 横浜医療センター 初期臨床研修
  • 平成25年 横浜市立大学附属市民総合医療センター 整形外科
  • 平成26年 神奈川県立汐見台病院 整形外科
  • 平成28年 平成横浜病院 整形外科医長
  • 平成30年 渡辺整形外科 副院長
  • 令和元年 藤沢駅前順リハビリ整形外科 院長

資格等

  • 日本整形外科学会専門医
  • 日本骨粗鬆症学会認定医
  • 認定運動器リハビリ・スポーツ・リウマチ医
  • 日本体育協会公認スポーツドクター
  • 日本医師会健康スポーツ医ロコモアドバイスドクター
  • 神奈川県難病指定医
  • 身体障害者福祉法第15条指定医
  • 義肢装具適合判定医
  • 神奈川県空手道連盟顧問医師

スポーツ歴

  • 空手道
  • 全日本空手道連盟公認 六段(2020年10月取得 最年少)
  • 2019年5月 横浜市戸塚区大会 個人形優勝
  • 個人形優勝(藤沢市、横須賀市、東京都港区)
  • 2018年2回 2019年1回空手世界大会救護ドクター
  • その他の好きなスポーツ:トランポリン、ゴルフ、サッカー、スキー、スノーボー、自転車、クライミング

 

ごあいさつ 「ここに来て良かった」という他者貢献

はじめまして。神奈川県藤沢市 藤沢駅前順リハビリ整形外科院長の渡邉順哉です。

この度は時間を割いて頂きご覧頂きありがとうございます。

まずは、当院のご紹介をさせて下さい。

当院は父が藤沢駅前に30年以上前に開業し、長年に渡り経営と診療を続けておりましたが、次々と競合クリニックが駅前にでき患者数も年々減ってきていました。

そこで、2019年に2代目院長として私が就任して、リニューアルオープンさせ再び盛り上げようと、今まで行ってこなかった理念経営として「ここに来て良かった」と患者様に心から感じて頂けるクリニックをしようと決意しました。

そのために、理学療法士のリハビリ、最新の骨粗鬆症診療、生理食塩水の注射(筋膜リリース注射)など、患者様のために何ができるかを考えて試行錯誤を繰り返しました。

すると、患者数も増え、それと同時に一緒に働いてくれるスタッフも増えてきました。

しかし、1年もせずにコロナ禍に突入し、最初の緊急事態宣言で患者数が激減して、このままスタッフを養っていけるのかという大きな不安の壁にぶつかってしまいました。

それでも、「ここに来て良かったと」ともっと感じて頂けるように、我々には何ができるか?とどこよりも早く感染対策を始めたり、患者様が当院に求めていることをひたすら行ってきました。

新たに、体外衝撃波や再生医療やサイレントマニピュレーションなどなかなか他院が取り入れていない治療も始めました・・・

これを当院でできたら患者様はもっと治ってくれて喜んでくれるだろうって。

そうしたら、もっと多くの方が治って喜んでくれるんじゃないかって。

そんな思いで、診療をやっていたら、藤沢駅近隣からだけの来院だったのが、藤沢市全域、隣の市、隣の県、離れた県、全国からと・・・たくさんの方が当院の診療を受けたいと来院されるようになりました。

「ここのスタッフの対応はみんな丁寧だし本当に良いですね!」そんな声も頂けると、我が子を褒められている気分で嬉しいものです。

だからといって患者様の期待値はどんどん上がるので、油断すると足元をすくわれ、叱りも頂くこともまだまだ珍しくありません。

その度に「全然まだまだだな」って、「もっと良くしていかないといけないな」って、その度にじゃあ次は患者様のために何があとできるか?そうまた考えるんです。

クリニックをもっともっと素敵にして、痛みや骨粗鬆症で悩んでいる方々にとって「本当にここにきて良かった~!」って感動して思わずポロっと言ってしまうようなクリニックを藤沢にモデルとして作り、全国に広げていきたいと本気で思っています。

「いつも良くしてくれてありがとう!」「あなたが居たから長い治療も乗り越えられた!」なんと言われたら嬉しいじゃないですか。

私には整形外科医として2つの実現したい夢であり目標があります。

一つは、痛み難民を撲滅すること。もう一つは骨粗鬆症を撲滅すること。

目の前に私を頼って来院された方に、「痛みが取れないのはしょうがない」って絶対言いたくないんです。

何か痛みを取る方法はどっかにあるんです。多くの整形外科医は取り方を知らないだけで、本当はあるんです。

整形外科のクリニックの治療には牽引や電気治療があります。正直あれだけではあまり痛みは治りません。

それでも、患者様はそんなことも知らず、医師が勧める治療ならって信じて治療を何カ月も受けて、治らず「しょうがない。付き合っていくしかない。」って言われるんです。

いやいや、治せる治療法はもっといっぱいあるから!提供していないだけでしょ!自分のところで治せないなら、治せるところに紹介してあげるのが医師の使命でしょ!私はそう思うのです。

私のクリニックだって完璧ではありません。手術じゃなきゃ治らないような方もしますから、そういう方は手術する病院に紹介しないといけないんです。

手術じゃなくても治せる治療法はたくさんあります。典型的なのが、理学療法士のリハビリとハイドロリリースと体外衝撃波、そして慢性疼痛用の痛み止め。

正直、これらを駆使すれば手術なんかしなくたって、接骨院に行かなくたって、整形外科クリニックで痛みは十分治せるんです。

近所の整形外科や整骨院で治らず遠方からはるばる来院される方を診察する度に、痛み難民は全国にこの数千倍、いや数万倍いるんだろうなと思うと、誰かが何とかしないといけないんだろうなと思うんです。

大分県から藁をもすがる思いで「最後の砦だと思ってきました」と来院された五十肩の中年女性が、当院でハイドロリリースとサイレントマニピュレーションを受けて、治った嬉しいさといままでの辛さを思い出し泣いていました。

この一件で、私は誰もやってくれないなら、全国の痛み難民を救うために、私が何とか全国にこのクリニックを展開をしないといけない、それが私の使命であると思うようになった大きなきっかけです。

もう一つは骨粗鬆症です。骨粗鬆症は神奈川県の検診率は10%以下です。9割の方が、本当は検査して治療を受けないといけないのに、受けていないんです。

骨粗鬆症を検査治療していないで、圧迫骨折や大腿骨骨折をして、その後の人生計画がむちゃくちゃになっちゃって後悔している方をいっぱい見てきました。

その度に思うんです。「ああ、何でもっと早く検査して治療を始められなかったのかな?」って。「何で、医師や国が骨粗鬆症を早く検査しなさいって言ってあげなかったんだ」って。

だから、骨粗鬆症認定医を取得し、私は死ぬまでに骨粗鬆症を日本からさらには世界から撲滅したいと本気で思っています。

そのために、藤沢市の骨粗鬆症検診率をまず100%にする、モデル事業を行い、様々な形で全国に広げて、まず日本人の骨粗鬆症による骨折を撲滅していけたらよいな思っています。

以上のことから、当院はかなり珍しく、地域でも特に全国的な整形外科医療や骨粗鬆症診療でのモデルクリニックを目指しており、患者様はもちろん、同じ整形外科クリニックや他科のクリニックからも注目され真似され続ける存在でありたいと思っています。

藤沢駅前順リハビリ整形外科 院長 渡邉順哉

私のおいたち

昭和60年8月、5兄弟の4人目として横浜市に生まれる育つ。

小さいころから動き回っては転んで怪我の絶えない子だった。

兄の影響でなんとか鎌倉学園に入学するも落ちこぼれ、成績は学年ワースト2位。

中学1年生でサッカー部に入るも骨折と溶け込めなかったことにより幽霊部員に。

テレビゲーム三昧だったこの頃、見かねた親が、私が小さい頃からドラゴンボール好きだったことから空手を勧められて始め何となくダラダラ続けていた。

高校はスキーとクライミングができるという点だけに惹かれて山岳部に入部するも、恵まれた先輩後輩の中で苦手だった山登りとチームワークをやや克服。

高校2年生の進路を決める際に、姉の影響で小学校教員を目指そうとしていたところ、同級生から「勿体ない」の一言と兄の後ろ姿を追って医学部に進むのを決断する。

偏差値が39だった私は、高校3年生になった時点で担任教師に1年浪人して医学部に進むと決意。

学校の授業についていけていけなかっただけあって、さすがに現役医学部合格はできず、浪人。浪人中は塾にはほとんど行かず自宅などで勉強。

2005年東邦大学医学部と聖マリアンナ医科大学に合格し、第一希望だった東邦大学に入学。

格闘技部に1年間所属、そこで様々な流派の空手に出会い、衝撃を受け、空手三昧(週8回稽古)となり初段取得。

東京都大田区・港区で優勝を経験し、三段まで取得、頑張れば大抵のことは実現するという自信を得る。

将来、何科の医師になるかは決めていなかったが、空手の稽古中に足払いで相手が足首を骨折して手術することになってしまい、相手に将来は整形外科医になることを宣言。

医学部では落ちこぼれた過去を払拭するために、必死で勉強し、学年トップ10に何度か入り、初の彼女(現在の妻)と付き合う。

大学5年生で学生結婚・妻が出産。

子育てをしながらも、一度も再試験や単位を落とすことなく2011年医学部卒業・国家試験合格。

2011年3月東日本大震災の10日後になんとか子連れ結婚式を迎える。

妻の職場の関係で、藤沢市長後に転居。ここでも空手を再開し、藤沢市で優勝、四段を取得。

多くの同級生が東邦大学に研修医として残る中、横浜医療センターの研修医となる。

様々な診療科を回る研修医、共働きフルタイム子育て(2人目出生)と研修医の両立に苦しみと優秀な同期との実力差に苦しみながらも、何とか2年間乗り切り整形外科医に。

横浜市の実家近くに転居し、空手を再開、横浜市で準優勝、大会ドクター兼選手。

整形外科医1年目として、横浜市立大学附属市民総合医療センターに入局、整形外科の基本、人工関節や骨折の手術を中心に学ぶ。この頃に3人目の子供が生まれ、さらに仕事と家庭で多忙を極める。

整形外科2~3年目、汐見台病院、人工膝関節や膝関節鏡手術、骨折手術を行い、スポーツ整形も学ぶ。

空手では、アジア大会救護Drや世界大会Drや全日本選手権Dr、五段取得、神奈川県空手道連盟顧問医師に。

整形外科4年目~、平成横浜病院整形外科医長、骨折や人工関節の手術を行い、急性期から回復期リハビリまでの整形外科治療を経験する。この頃に、整形外科専門医試験に合格、4人目の子供が生まれる。

2019年渡辺整形の院長を受継ぎ、藤沢駅前順リハビリ整形外科に名称変更。

2020年空手六段を最年少で取得。

2022年骨粗鬆症認定医取得。

院長の怪我歴

3才 右耳がカーテンフックでほとんど切れてしまい縫合
5才 左のすねをぶつけて縫合
7才 右肘を骨折(理事長が治療)
左前頭部をぶつけて縫合
10才 車にはねられたがほぼ無傷
12才 サッカー部で転んで右手首を骨折(理事長が治療)
転んで曲がって治りかけたため再度折られる
16才 階段から飛び降りてかかとの骨折(理事長が治療)
30才 転んで手の骨折、手術を受ける
32才 右坐骨神経痛でリリカ内服
35才 転倒して右TFCC損傷、縫合手術を受ける
36才 空手で左膝軟骨を損傷、関節鏡視下手術と再生医療を受けた。
37才 膝の軟骨が見事再生!空手への復帰を果たす。

が、ハマり始めたトランポリンで左膝内側側副靭帯を損傷。

経験があるからこそ痛みの分かる整形外科医である。

再生医療の効果について、身をもって重要性を感じ、さらなる啓蒙を進めていく。

[副院長] 柳橋 淳子 スタッフ

略歴・資格など

略歴

  • 平成23年 帝京大学 医学部卒
  • 平成23年 帝京大学附属病院 初期臨床研修
  • 平成25年 帝京大学附属病院 整形外科
  • 平成26年 深谷中央病院 整形外科
  • 令和2年 老年病研究所附属病院 整形外科学
  • 令和5年 藤沢駅前順リハビリ整形外科 常勤医

資格等

  • 日本整形外科学会専門医
  • 日本整形外科学会認定リハビリ医
  • 日本リウマチ学会リウマチ専門医

スポーツ歴

  • バスケットボール

 

柳橋医師×院長 対談

生い立ち~今後の展望

院長:生まれ、育ちはどこでしたか?
柳橋医師:藤沢市片瀬で生まれ、幼小中高と片瀬で生活をしておりました。大学入学までの生活拠点は藤沢市でした。

院長:私は長後に2年間住んでいましたが基本は横浜人なので、柳橋先生の方がずっと藤沢歴が長かったのですね!幼少期はどんな感じだったか?
柳橋医師:3人姉弟の真ん中で、実家の周りが自然にあふれているところであった為、姉弟3人で自然の中で遊ぶことが多かったです。

院長:藤沢は今はかなり発展しましたが、昔は自然が豊かだったんですね。
色々遊んだりスポーツをする中で、ケガや痛みに悩むことはありましたか?
柳橋医師:実は、漫画のスラムダンクの影響で小学校6年生の時に友達に誘われて、バスケットボールクラブに入りました。その後は大学まで13年間バスケットボール部でした。
中学2年生の時に試合中に相手と接触し、転倒をした際に、膝を強打し、膝関節前十字靭帯を損傷し、手術を行いました。スポーツの完全復帰まで8ヶ月ほどかかりました。その時は、私自身にリハビリの知識がなく、かつ、自宅の近くに運動療法をしっかりしているクリニックがなく、遠方の病院までリハビリに通っていた記憶があります。その経験から整形外科領域において、外傷後のリハビリもそうですが、非外傷性の疾患においても、リハビリの正確な知識を与えられること、かつ、リハビリが十分にできる環境は治療の過程において大切であると思っています。

院長:なるほど、結構重症な怪我に苦労されたんですね。もしかしたら、医者になりたいと思ったきっかけはそこにありますか?
柳橋医師:そうですね。単純かもしれませんが、中学生の時に膝の手術を受けた際に、整形外科医の仕事がカッコよく見え、その時に、将来の進路の一つに医師(医学部に進学)という選択肢を持つようになりました。

院長:なるほど、それは素敵な志ですね。ちなみに医学部に入るために苦労したエピソードはありますか?
柳橋医師:実は、受験生の頃、なかなか英語の成績が伸びず、大学受験に難渋しました。個人的な見解ですが、大学進学にあたり理系でも文系でも英語をしっかり学んでおくことの重要性は高いと思います。

院長:なるほど、私も英語は偏差値39からの受験勉強だったので良く分かります。
ちなみに学生時代の変わったエピソードはありましたか?
柳橋医師:小中高と私立のカトリック系の学校に通っていたのですが、高校時代にベリーショートが流行っており、私自身もベリーショートにしたら、学校のシスターに『それ以上短くしたら、カツラを被せるわよ』と言われました(笑)

院長:場合によっては、シスターもカツラをいくつも買ってこないといけないので大変そうですね(笑)やはり柳橋先生と話しをしていると楽しいですね。私なんかより圧倒的にコミュ力高いですよね。
さて・・・大学時代ですが医師国家試験や研修医に向けて苦労したエピソードはありますか?
柳橋医師:医学部は本当に試験の数が多く、また、1つでも単位を落とすと留年してしまうので、毎回の試験がプレッシャーだった記憶があります。ですので、意外にも6年間はあっという間でした。

院長:それ、凄い分かります。医学部あるあるで、入学する以上に入ってから6年間で医者になるのはもっと大変なんですよね。
晴れて研修医になれたかと思いますが、研修医時代に整形外科医になると決めたきっかけはなんでしょうか?
柳橋医師:もともとの整形外科医がカッコいい印象はずっと持っていました。学生時代の実習と研修医の時期に整形外科を回ったのですが、整形外科特有の雰囲気というんでしょうか、簡単に言えば世間一般が思っているような『体育会系の雰囲気』が自分自身は好きで、その環境で働きたいと思い、進路を決定しました。

院長:それもめっちゃ分かります!あの体育会系の部活の延長のようなノリの先生ばかりいるのが整形外科という感じですよね。私もあの雰囲気は楽しく仕事ができるので好きでした。
さて、整形外科医になってからの何か苦労したエピソードはありますか?
柳橋医師:整形外科医になってから特に辛かったとのことは実はなかったです。整形外科医=骨の大工さんで、よく他の科の先生からは整形外科の手術は力仕事が多そうと思われがちです。でも、意外にも他の外科より手術時間は短い手術ばかりなので、自分にとっては体力的に耐えられないほど苦痛なことはありませんでした。
しいて言えば、大学の当直は夜に寝る時間がほぼなく、次の日も通常通りの仕事スケジュールであり、睡眠不足がきつかった記憶があります。

院長:ほんと数年前までは、朝から晩まで働いて、そのまま寝れないくらい忙しい当直をして、翌日も普通に夜まで仕事をするのは医者は当たり前でしたが、最近は働き方改革で翌朝に帰れるようになったらいくとても驚いています。
ところで、柳橋先生は整形外科医としての患者様を診察する上でのこだわりはありますか?
柳橋医師:患者様の立場に立って、患者様の生活背景、例えば年齢・性別・仕事内容・スポーツ習慣・趣味などなどを理解し、個人個人どの検査・治療法がベストかを考えるように必ず心がけています。

院長:確かに柳橋先生の外来をそばで聞いていると凄く丁寧にお話しされていて患者様もとても好印象を持たれているように感じます。
ちなみに、今回なぜ、当院に勤めることを決めて頂けたのでしょうか?
柳橋医師:実は以前から我が子の小学校進学を機に藤沢市に戻ってくることを考えていました。その折、当院の存在を知り、院長先生の医療に対する理念に共鳴に、このクリニックで働きたいと思いました。

院長:理念に共感頂き、本当にありがとうございます。
さて、今後は藤沢の地域の方々に、どのような医療を提供し、患者様にどうなって欲しいのでしょうか?
柳橋医師:内科的に問題がなく長生きをすることももちろん大切ですが、肉体的・身体的に元気で長生きをすることも健康寿命が伸びてきている今の時代においてに大切なことだと思います。その為にも、整形外科の領域でも予防医学は大切で、怪我・骨折が起こりにくい身体造りを一緒に取り組んで行ければいいなと感じております。年齢関係なく、いつでも好きなことやりたいことが制限なくできる体づくりが一緒にできるよう整形外科医の立場でお手伝いさせて頂ければと思っています。

院長:本当に素晴らしい考えだと思いますし、私も何歳になっても好きなことを続けたいと思っているので、きっとそのような方はとても多いかと思うのであっという間に先生のファンが増える気がしてならないです。最後に先生の外来を受診しようか迷っている患者様に向けて一言あればお願いいたします。
柳橋医師:患者様が何を求めてらっしゃるのか、何を悩んでらっしゃるのかなど、どの患者様に対しても自分自身一生懸命考えて診療を行っています。不安なこと、わからないことなど何でも言っていただいて構いません。精一杯対応させていただきます。気兼ねなく話していただけるような雰囲気づくりに努めております。よろしくお願いいたします。

[理事長] 渡邉 正美

藤沢駅の南口で初の整形外科を立ち上げ創業35年以上

略歴

  • 昭和47年3月 金沢大学 医学部卒
  • University of Utah(骨代謝研究)
  • 昭和47年5月 横浜市立大学病院
  • 昭和48年5月 横浜船員保険病院
  • 昭和49年6月 神奈川県立こども医療センター 整形外科
  • 昭和51年6月 横浜市立港湾病院 整形外科
  • 昭和52年6月 横浜市立大学病院 整形外科
  • 昭和55年6月 三浦市立病院 整形外科
  • 昭和56年6月 横浜市立大学病院 整形外科
  • 昭和59年6月 平塚共済病院 整形外科
  • 昭和60年9月 渡辺整形外科 院長
  • 令和元年5月 藤沢駅前順リハビリ整形外科 理事長

所属

  • 日本整形外科学会専門医
  • 医学博士
  • ロコモアドバイスドクター

スポーツ

  • ランニング
  • マウンテンバイク
  • 居合道全日本剣道連盟 参段

ごあいさつ

いつも当院をご利用頂きありがとうございます。
現在の藤沢は、私が開業した昭和61年の頃とは比べ物にならないくらい栄えた町になりました。
30年で変わったのは藤沢だけでなく、整形外科疾患の治療も大きく変わってきました。
渡辺整形外科は平成の最初から最後まで、藤沢の地域医療に貢献してまいりました。

令和元年という、一つの区切りのタイミングで、院長は渡邉順哉に代替わりをし、リニューアルオープンを行いました。
私自身、休日は自転車や足で鎌倉の山を走り回り、体力については若者に負けない自信がありますので、まだまだご安心下さい。今後も、引き続き診療を参ります。

開業当初から長きに渡りご来院頂いている方もまだまだ数多くいらっしゃいます。

時代とともに医療は進歩して、昔は電気や引っ張る治療が中心だったリハビリ室も今では多数の理学療法士によるリハビリ治療により機能回復を図れる時代になりました。

昔ながらの電気や引っ張る治療も気持ち良くて良いと言われることもありますが、やはり機能回復を目指した治療に主眼を置いた方が患者様も満足されやすいと思います。

転倒などによる骨折や交通事故による怪我も理学療法士のリハビリによって後遺症のない治癒を目指すことができます。

患者様の訴えに応じて、懇切丁寧な診察と説明を35年間行ってまいりました。

神奈川県立こども医療センターに勤務していたことから、小児疾患や骨腫瘍疾患のほか、英語の対応も可能ですので、海外から来られた方もお気軽にご相談下さい。

医師とじっくりお話ししたい方は、院長や副院長よりも私の方が合うかもしれません。

順哉院長のような難易度の高いハイドロリリースやサイレントマニピュレーションはできませんが、肩こりや腰痛のハイドロリリースは実施可能です。

また、足底筋膜炎などに対する体外衝撃波治療も施行しております。

担当医師はいつでも変更可能ですので、お気軽に受付スタッフにお申し付けください。

<理事長 対談>生い立ち~クリニックの歴史、メッセージなど

インタビュアー:では、理事長先生よろしくお願いします。まず最初に、生まれも育ちも横浜だったんですね。海も山もあって自然環境のいいところで暮らしてきたんですね。

理事長:はい、そうです。横浜は素敵な場所です。

インタビュアー:幼少期はどんな感じだったんですか?何かクスッと親しみやすいネタがあれば教えてください。

理事長:実はベビーブームの時期で、通っていた横浜の鶴見の小学校では7クラスもあり、たくさんの同級生に囲まれて育ちました。毎日がにぎやかで楽しかったですね。

インタビュアー:それは賑やかな学校生活だったんですね。それから、どんなスポーツをしていましたか?また、ケガや痛みに悩んだことはありますか?

理事長:大学時代には登山とスキーをしていました。登山中に腰の椎間板ヘルニアになったことがありました。スキーでもよく怪我をしていたんですよ。

インタビュアー:スポーツでの怪我はつらいですよね。最近の趣味はありますか?

理事長:現在の趣味は週に2回のトレイルランです。自宅から10分ほどの場所までマウンテンバイクで行き、円海山の入口から鎌倉まで往復約15㎞の道程を3時間かけて走っています。トレイルランは森の中に入ると心がリフレッシュされて気分が爽快になるんですよ。

インタビュアー:トレイルランは本当に素晴らしい趣味ですね。また、海外旅行も楽しまれているようですね。

理事長:そうですね、最近は南スペインとモロッコに行ってきました。

インタビュアー:素敵な趣味と旅行ですね。さて、なぜ医者になりたいと思い、医学部を志したんですか?

理事長:実は、私の親戚には医者が多く、自然と医者を志すようになりました。

インタビュアー:家族の影響が大きかったんですね。医学部に入るためには苦労もあったと思いますが、具体的なエピソードはありますか?

理事長:受験生としては普通の苦労はありましたが、あまりつらい思いをしたということはありませんでした。

インタビュアー:なるほど、順調に進んだんですね。学生時代にはクスッと親しみやすいエピソードはありますか?

理事長:学生時代は石川県の金沢大学に通っていたので、全国から集まった同級生と楽しく過ごしました。先ほどの腰のヘルニアで入院した時に、学生講義で参考になると言われ、ベッドごと運ばれたことが恥ずかしかったです。

インタビュアー:それは笑えるエピソードですね。では、医師国試や研修医の時に苦労したエピソードはありますか?

理事長:実は、私は恵まれた環境に恵まれていたので、特に苦労したということはありませんでした。

インタビュアー:そうなんですね。では、なぜ整形外科医を選んだんですか?

理事長:大学1年の時、登山でヘルニアになり、大学病院での入院体験が自分の病気を自分で治したいと思うきっかけになりました。

インタビュアー:自身の経験が医師の道を選ぶきっかけになったんですね。整形外科医としての苦労したエピソードはありますか?

理事長:私が横浜市立大学病院で働いていた時に、難しい症例を担当したことがありました。特に悪性骨腫瘍の方を治療する際には非常に苦労しました。

インタビュアー:それは、かなり大変そうですね。ところで、整形外科医として、診察する上でのこだわりは何ですか?

理事長:私自身が整形の病気を経験したこともあり、常に患者様の立場に立って診察することを心掛けています。

インタビュアー:それは素晴らしいことですね。藤沢で開業することを決めた理由はありますか?

理事長:昭和60年当時はまだ藤沢の駅前には整形外科クリニックがなく、これから発展する街というイメージもあり、知人の整形外科医に勧められて開業を決めました。

インタビュアー:確かに、藤沢は発展し、30年以上に渡って地元の方々に整形外科医療を提供してきたということですね。では、開業当初のエピソードはありますか?

理事長:最初は来院患者数が少なかったですが、周辺に整形外科がなかったため、比較的早く患者様が増えてきたような記憶があります。

インタビュアー:開業は大変な道のりだったんですね。藤沢の地域の方々に対して、どのような医療を提供し、患者様にどうなって欲しいですか?

理事長:私は長年の経験に基づく質の高い医療を提供し、患者様がより長く元気でいられるような治療を心掛けています。

インタビュアー:素晴らしい目標ですね。最後に、理事長先生の外来を受診しようか迷っている患者様に向けて一言あればお願いいたします。

理事長:2年間こども医療センターで小児整形外科もやっていたため、お子様の治療が専門分野ではありますが、長年治療に身を捧げてきたので、どんな方でも診断・治療を行って参ります。ご高齢の方々が安心して通って頂けるような診察を心掛けていますので、迷っている方は1度ご来院ください。

インタビュアー:きっと患者様に安心感を与えることができると思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

アクセスマップ

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0466-25-38120466-25-3812

診療時間 / [午前] 9:00~12:30 ※12:00 受付終了
[午後] 13:30~17:30 ※17:00 受付終了

休診日 / 土曜午後・日曜・祝日・年末年始

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